ライアン『監視社会』に導かれつつ

デイヴィッド・ライアン『監視社会』(青土社2002)
メモっておいたファイルから、テーゼ風に貼り付けておく。

監視にはつねに、人々が喜んで受け入れるような、それなりの正当化がともなう。(15)

監視という問題は、ここでは、社会学的関心の対象として考察される。それが、社会の秩序編成そのものに寄与するからだ。つまり、監視の「もう一つの顔」は、それが担う、社会的・経済的分割を強化する働き、選択を誘導し、欲望に方向を与え、いざとなれば束縛・管理するという働きに由来するのである。(16)

新たな監視体制は、公的/私的の境界線を根底から揺り動かす方向にある。(21)

監視にはつねに意図・価値・権力関係が表現されるとしても、監視自体が本来的に否定的・有害・反社会的であるというわけではない。(32)

プライヴァシーへの欲望が監視の高まりを促している(40)

クライヴ・ノリスとゲイリー・アームストロングの「拡張可能な変動性」という概念である。彼らはこの概念を用いて、一つの目的のために設置されたはずの監視カメラが、他の目的にも使われるようになる過程を究明した。(48)

監視社会という概念は、固定された一状態ではなく、社会的な方向性、多分に重要な社会の深層的趨勢を指し示している。それだから、私は、監視という継続的で双方向的なプロセスを含む「社会的オーケストレーション」のような何かが起こっていると考えたいのだ。(56)

あれこれのシステムに把握される当人が自分自身の監視に参加するのである。(78)

 いろいろ考えさせられる記述が多い。とりあえず、「転用」の問題だけ、次回エントリしておこう。

Googleも監視されてはいる件

Google八分」の話や、ライフログ(の収集と検索)の今後の展望、新サービス・ストリートビューなどなどにからんで、Googleの負の側面がよく話題に上るようになってきた。ITMediaにも、今日関連の記事が出ている。

>> 「Googleの支配を受け入れられるか?」

ここにも出てくるイギリスの団体Privacy Internationalの報告書を、ちらっと見てきたので、Googleのところだけ抜粋してみる。報告書のタイトルは「Consultation Report: Race to the Bottom? 2007」、「調査報告:ビリケツ争い?2007」って感じですかね。ちなみに、Googleは最低ランクの「Comprehensive consumer surveillance & entrenched hostility to privacy」すなわち、「包括的な消費者監視およびプライバシーに対するゴリゴリの敵対行為」って評価になってる。

以下、必要なとこだけ引用。訳はさすがに量が多くて面倒なのでしません。



Corporate Leadership

Rejected access to data by U.S. Justice Department for research purposes. Member of Safe Harbor.

Data Collection and Processing

Describes data collected. IP addresses are not considered personal information.
They do not believe that they collect sensitive information. Do sometimes track links clicked upon. Shares information with consent, or to companies (subsidiaries, affiliated companies, trusted businesses or persons).

Data Retention

Unclear but has stated 18-24 months as eventual outcome. Log history is retained after this period.

Openness and Transparency

Vague, incomplete and possibly deceptive privacy policy. Document fails to explain detailed data processing elements or information flows.

Responsiveness

Generally poor track record of responding to customer complaints. Ambivalent attitude to privacy challenges (for example, complaints to EU privacy regulators over Gmail).

Ethical Compass

Privacy mandate is not embedded throughout the company. Techniques and technologies frequently rolled out without adequate public consultation (e.g. Street level view).

Customer Control

Customers have a right to amend personal details held by Google but does not allow search history to be removed. Most services do not permit user access to specific or aggregated disclosure or tracking data.

Fair Gateways

Opt-out possible for some services. Some services may not work well without cookies. May access essential resources without account but when account is created it is sticky.

Privacy Enhancing or Invading Innovations

Will utilise Doubleclick's "Dynamic Advertising Reporting & Targeting" (DART) advanced profiling system.

Initial Assessment

Hostile to Privacy

Justification

Track history of ignoring privacy concerns. Every corporate announcement involves some new practice involving surveillance. Privacy officer tries to reach out but no indication that this has any effect on product and service design or delivery.

http://www.privacyinternational.org/issues/internet/interimrankings.pdf

まあ、さんざんの評価されっぷりでありますね。

ともあれ、Googleがらみの話は、今後も当分目が離せそうにありません。

Web2.0な監視社会? (3)

このエントリでは以上のような事態を考えるのに、「ユビキタス・ブラウザ」とか「Web 2.0 な監視社会?」というアイデアをとりあえず立ててみている。「ユビキタス」ってのは遍在を表す言葉で、もともと「神の」遍在を指し示す宗教的なニュアンスの言葉だったと理解している。ここでは個人レベルまで浸透した監視の遍在を論じたいので、本当はこの「神の」に由来する言葉は相応しくないのかもしれない。が、とりあえず。

またWeb2.0についても一応参照しておく。

「「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」がその本質だと私は考えている。不特定多数の人々には、サービスのユーザもいれば、サービスを開発する開発者も含まれる。誰もが自由に、別に誰かの許可を得なくても、あるサービスの発展や、ひいてはウェブ全体の発展に参加できる構造。それがWeb 2.0の本質である。」
梅田望夫ウェブ進化論ちくま新書、2006年2月、120頁)

ここでは、この「不特定多数の人々(や企業)」が「能動的な表現者」──ここでは「=監視者」になりうる、という事態が、まあこの言葉を暫定的に使っていいかな、と思ったゆえん。

しかしこの言葉、観察するに新しがりのかけ声や、それに乗ってお金儲けしようという魂胆で使われていることも多いように感じられ、個人的にはちょっと乗り切れない言葉ではある。それに梅田さんの『ウェブ進化論』には、以下のような発言も参照されていた。

「道具を人々の手に行き渡らせるんだ。皆が一緒に働いたり、共有したり、協働したりで着る道具を。「人々は善だ」という信念から始めるんだ。そしてそれらが結びついたものも必然的に善に違いない。そう、それで世界が変わるはずだ。Web 2.0 とはそういうことなんだ」
(ピエール・オミディヤー、引用は梅田同書、121-2頁)

人々は、「善」なんだろうか。私はここまで楽観的にはなれないし、悪意の吹きだまりのような場所が、ネット上にあることも知っている。「Web2.0」はそうした悪意すら、大量に乗せて走っていくはずではないのか。それが、レッシグのいう〈アーキテクチャ層〉にも関わる変化なのだとしたら、なおさらそのはずなのだが。

まあ細かいつっこみはともかく、当て逃げ動画事件を整理してみると、次のようなテクノロジーやメディアが関与していたことに気付く。

  • Aさんのドライブレコーダ
  • 車両番号のデータベース(陸運)
  • ブログと動画配信サービス
  • 2chという巨大掲示板
  • Youtube, ニコニコ動画など著名動画サービス
  • ネットのニュースサイト
  • mixiにおけるBさんの日記
  • ネット上での「攻撃」
  • 現実世界での「攻撃」
  • デジカメ画像、音声ファイルのアップロード
  • 従来型マスメディアの後追い報道(テレビ、新聞)
  • 中傷ビラ

当て逃げ動画事件においては、以上すべての要素が複合し、監視網を創発したと考えられる(複数の技術のマッシュアップによる「権力」の「創発」についてはアンカテのエントリ「Flickrが公共Nシステムになる日」が参考になります)。Bさんをめぐる監視網は、もともとそこに存在していたわけではない。彼はわれわれと同じ普通の生活者であり、われわれと同じ程度にしか「監視」されていなかった。ところが、彼の所有する車が当て逃げ事件の加害車両となったことを発端に、あっという間に、あたかもそこにすでにあったかのような監視網が恐ろしい密度でできあがる。彼は住所と本名を曝され家族構成を曝され顔写真を曝され自宅の写真を曝されmixiの日記が荒らされ会社に抗議と悪戯の電話・メール・書き込みが殺到し電柱に中傷ビラを貼られテレビニュースの取材が来、そして解雇された。

もともとそこにあったわけではない監視が、ある一つの出来事をきっかけに、急速に組織化されていき、すでに監視網が存在していたのと同じ効果を発揮したのである。それはネットとリアルをまたいで生起する。

私は正直に言って、これを恐ろしいと思った。いまや監視は、国家によるものでも、大企業によるものでもない。個人をも含む「監視の目」が、ゆるやかに、しかし漏れることなくわれわれの日常を覆いつつある。いまここに監視網はないが、ふとしたことをきっかけに、私を見はる監視網が、あたかもずっと以前からそこにあったような顔をして立ち現れる。そうした社会に、我々はいますでに生きているのかもしれない。

Web2.0な監視社会? (2)

イデアの骨子を先に行っておくと、いま起こりつつあるのは、監視の目が遍在が、デジカメ、携帯のカメラ、ブログ、動画サイトなどのテクノロジーの普及&チープ化に支えられて、ほんとうに思いもよらないところまで浸透してきているということ。大事なのは、個人レベルで監視+記録+発信+転載ができること、監視網はあらかじめ存在しているのではなく何か起こったときに瞬時にあらかじめそこにあったかのように組織化されるということ、ネットとリアルはそこで相互参照し合って一方だけでは留まらない状態になること、の3点だと考えている。先の当て逃げ事件は、このことを本当によく示したと思う。

では当て逃げ事件の経緯をたどりつつ、考えてみたい。


局面1  2006年10月〜12月
Aさん、当て逃げされた経緯をブログに書く。車載カメラの映像を添え、警察に届け出るも、軽微な事故のため、さほど熱心に捜査されない。その不満もブログにエントリ。

局面2 2007年04月19日〜
Aさん、当て逃げされたときの映像をネットで公開すると同時に、ブログに車種、車両ナンバー、所有者Bさんの実名(一部伏せ字?)、住所の一部を記載。

局面3  2007年6月12日00:57〜
2chに事件に関するスレッドが立つ。AさんのブログからBさんの個人情報がそのまま転載。勤務先会社名とそのHPも記載。ほぼ同時にyou tubeニコニコ動画へも動画が転載される。数時間後にはBさんmixiのページが発見されコメント欄に書き込みが殺到。会社の掲示板にも集中的な書き込みが始まる。翌朝には会社へ電話が。ネット上にはBさんの自宅とその付近の写真、車検証の写真まで公開される。Bさんの会社のウェブサイトが一時閉鎖に。

局面4  2007年6月12日〜26日
13日頃からネット上のニュースサイトが注目をはじめる。15日に、同日の日付をもつ経過説明とBさん解雇の文章が会社のページに掲載。18日に、ネットニュースのJ-CASTが一連の事件を記事として配信、excite, infoseek, livedoorなどのポータルサイトにも掲載される。25から26日かけて、フジテレビ、日本テレビテレビ朝日が相次いで地上波ニュースで取り上げ、同時にそれらがYouTubeに転載される。朝日新聞も26日に朝刊で取り上げた。なおテレビ朝日の報道によれば、Bさんの自宅近辺には中傷ビラが複数貼られている。

これが、事件のおおまかな経緯。さて、これからどんな監視の姿か見えてくるだろう。

Web2.0な監視社会? (1)

ちょっと前に当て逃げされた時の動画がネット上に公開されて、犯人の乗っていた車の所有者が突き止められ、会社を解雇されるに至ったという事件があった。事件の概要としては、起こりうるだろうなという予想の範囲内の出来事ではあったけれど、その展開のありさまを追いかけると、いまの監視社会の姿を考えるのに、ものすごく格好の事例となってしまっているようなので、それについて考えたことをエントリしておく。

監視社会の姿の変遷をたどるのに気に入っている整理がある。

  ビッグ・ブラザー
     ↓
  ビッグ・ブラウザ

これは、ニューヨーク州エリオット・スピッツァー司法長官が2000年にいったとされる、「現在、我々が脅威を抱いているのは、『ビッグ・ブラザー(Big Brother)』ではなく、『ビッグ・ブラウザ(Big Browser)』である」という言葉による。岡村久道さん、新保史生さん著の『電子ネットワークと個人情報保護―オンラインプライバシー法入門』(経済産業調査会2002年)に教えてもらった。ビッグ・ブラザーというのは聞いたことがある人も多いと思うけれど、オーウェルが『1984年』で描いた全体主義的管理社会を象徴的に指し示す言葉。その後、政府による一元的な管理社会を比喩するときに援用され、いまでもよく使われる言葉だけれど、スピッツァーさんは、いま問題はこの「ビッグ・ブラザー」ではなく、「ビッグ・ブラウザ」なんだという。これは、大企業による大規模な──時には政府機関によるそれを上回る規模の──個人情報の収集こそが、いま問題だという認識にねざしている。「ビッグ・ブラウザ」とはこうした個人情報を収集し、蓄積している大企業を指している言葉。機知に富んだ、いい整理ですよねぇ。

でも、私は今度の当て逃げ動画の事件の展開を見ていて、いま、この日本で問題なのって、それだけじゃないかもな、と思った。で、仮に下のような整理をさらに仮設してみた。

  ビッグ・ブラザー
     ↓
  ビッグ・ブラウザ
     ↓
  ユビキタス・ブラウザ

最後の「ユビキタス・ブラウザ」ってのが、今日ここで考えてみたいことで、タイトルにもした「Web2.0な監視社会?」ってこと。まあ、言葉遊び的にもうまくないし、Web2.0ってのも、なんだかうさんくさい言葉だって思っているので、「?」なしには使えないのだけれど、今日現在、他にいい言葉が思いつかないので暫定的に使っておく。主意は事態の把握のしかたの方にあるので、言葉尻だけに反応しないでくださいね(^^;

携帯電話が監視装置になる日

JANJANにすごくいい記事──正確に言えば、すごく興味深い小谷洋之さん(ジャーナリスト)の講演「11桁は住民票コードだけではない! 携帯電話番号が背番号に化けるとき」(主催:反住基ネット連絡会)の紹介──があるので、リンクしておく。

>> 携帯番号が“背番号”に 移動履歴監視の怖さ

携帯電話(の番号)が事実上、個人の「背番号」として利用されうる現状や、警察の慫慂によって監視カメラが民間に設置されていく「成城方式」と呼ばれるシステムなど、興味深い現状の分析が詰まっています。ぜひご一読を。

2007.7.1追記

>> 文中敬称略日記のエントリ「JANJANにマジレス」
が、上記記事の裏をとろうと検証している。これによれば、捜査令状なしで云々というのは、ちょっと真偽が今のところ不確かのよう。

社会保障カード 続報

ちょっと前のエントリに続報。今日の朝日新聞に記事が大きな扱いで載っている。asahi.comから紹介しておく。

社会保障番号国民カード」導入検討 住基ネットと連携
2007年06月23日07時45分

 政府・与党は22日、年金や医療保険介護保険個人情報を一元的に管理する「社会保障番号」を11〜12年度をめどに導入し、ICチップ入りの「国民サービスカード」(仮称)を全国民に1人1枚ずつ配布する方向で本格的な検討を始めた。住民基本台帳ネットワーク住基ネット)と連携させることで今後は年金記録の入力ミスはなくなるとしており、国民は年金記録や健康診断結果などをパソコンでいつでも見られるようになる。だが国が個人情報を一元管理するようになるため、プライバシー保護の観点から論議を呼びそうだ。

 安倍首相は14日の国会答弁で「社会保障番号の早急な検討」を表明。自民、公明両党も参院選の共通公約にカード導入など、新たな年金記録管理システムの構築を盛り込む方針だ。

 計画によると、現在は別々になっている公的年金、医療、介護の各保険の加入者情報を一元化した共同データベースを構築、各制度共通の国民サービス番号(社会保障番号)を導入する。国民には年金手帳、健康保険証、介護保険証を一本化した国民サービスカードを配る。

 個人情報の漏洩(ろうえい)を防ぐため、ICチップを搭載。カードをパソコンの端末に差し込み、暗証番号や生体認証などで本人確認ができれば、年金の加入履歴や給付の見込み額、健康診断や治療を受けた際の検査結果、請求書(レセプト)などが常時、閲覧・保存・印刷できる。医療機関や介護業者の窓口でカードを示せばすぐに本人確認ができ、複数の医療機関で同じ検査を受けたり、余分な薬をもらったりすることもなくなり、医療費の抑制につながるという。

 一方、年金記録の管理については、11年度をめどに新システムを導入。現在審議中の社保庁改革関連法案でも、年金加入者の住所異動や名前変更、死亡情報などを住基ネットから取得することになっており、法案が成立すれば、届け出がなくても自動的に基礎年金番号の情報が更新される。「宙に浮いた」5000万件など過去の年金記録問題が解決するわけではないが、今後は入力ミス、入力漏れなどは発生しなくなるとみられる。

 社会保障番号の付け方については、現在20歳以上の人が持っている基礎年金番号を国民全員に拡大する案と、住基ネット住民票コードを用いる案がある。国民サービスカードについても、独自のカードを発行するか、住基カードとの一体型にするか今後検討する。

http://www.asahi.com/life/update/0623/TKY200706220439.html

正直言って、このタイミングで出してくるのは、「卑怯者!」といいたい。何もないときなら、この制度が何をやろうとしているのか、どのようなリスクがあるのかについて、そうとうな批判的意見が出て来るはずである。

が、いまや年金記録があやふやになっちゃっている問題で、ちゃんと記録しておいてもらわないと困る!という世論の雰囲気が大勢を占めている。もちろん、この意見は完全に正しい。支払っているのだから、受け取った側が記録を残すのは当然だ。

問題は、この社会保障番号の議論では、「年金の」記録の問題が、いつのまにか「社会保障全体の」記録にすり替えられていることである。年金の記録は、年金の記録として、ちゃんとつけてくれればいいのである。

一体みんな、「年金記録や健康診断結果などをパソコンでいつでも見」たいのだろうか。「年金の加入履歴や給付の見込み額」「健康診断や治療を受けた際の検査結果」「請求書(レセプト)」などを「常時、閲覧・保存・印刷」したいのだろうか? 少なくとも私個人は、こんなことが可能であったとしても、それを「いつでも」あるいは「常時」する/したいとはとうてい思えない。そういうのは必要なときに、正確な情報が手に入りさえすればいいのである。いまこれだけ大量の人が年金の確認に訪れているということは、逆に言えば、この人たちはそんなに頻繁には年金記録の確認をしてこなかったということである。私はそれが普通の感覚だと思う。

こうした記録を、自分のパソコンで手に入れられる、というのはたしかに便利だ。役所は混んでいるし、出向くのはたしかに面倒くさい。しかし、自分のパソコンに簡単に手に入っちまうような情報は、だれかのパソコンにも簡単に手に入っちまうおそれがありはしないかい。

これまでの情報漏れのパターンからして、システムそのものはある程度強固に作れ、そこから直接クラッキングなどで情報が漏れるなんてことはそうそうはないということは(幸いにも)予想できる。

が、問題はヒューマン・エラーなのである。どこの組織にも、かならず抜けた人間がいる。コピーしちゃいかんデータを私用パソコンにコピーしたり、しかもそのパソコンがウイルスに感染していたり、仕事を持ち帰ってそのままノートPCが盗まれたり(置き忘れたり(T-T))、極秘データが入っているUSBディスクを紛失したり、机の横にパスワードを貼り付けていたり、事務所の鍵を閉め忘れたり、廃棄処分にするはずのPCがなぜか再利用されていたり・・・

こういう人間を、完全になくすことは不可能である。であるから、システムは、そういう人間は必ずどこにでもいる、という前提で、設計してもらわねば困る。

一枚のICカードで、一人の人間の健康に関する情報、税金に関する情報、年金に関する情報、住民登録にかかわる情報、これら全て──あるいはもっと──が一元的に手に入ってしまう。記事の中に「生体認証」の文字が入っているのに気付かれただろうか。指紋か、手のひらか、虹彩か、顔かわからないけれど、そうした情報までもが、これらの情報と一つの番号で結びつけられる。

この情報の集積が、漏れて見知らぬ第三者の手に渡ったら、私はたいへんに不快で不安である。そして漏れる危険性は、これまでの我々の社会の経験則からして、ゼロには絶対にできないのである。だったら、こんな仕組みは最初から作るべきではない。