携帯電話はライフログ発信器になりつつあるのか


 携帯電話の契約者にそれぞれ割り振られる契約者固有IDというのがある。なんでも、携帯電話向けのサイトを訪問すると、そのサイトの設置者にそのIDがデフォルトで通知(送信)されるように最近なったんだそうな。高木浩光さんが詳しい分析と批判を書いておられ、色々なところで話題になっている。

>>「日本のインターネットが終了する日」(高木浩光@自宅の日記)

 ポイントはやはり契約者固有IDのもとに、さまざまな個人情報が「名寄せ」されてしまうところにある。これは、規制側がまず念頭に置いている悪意のユーザの排除の役にも立つだろうが、弊害が大きすぎる。

PCから使う通常のインターネットなら、GoogleYahoo!で検索して見つけた、初めて訪れるネットショップで、いきなり買い物をする(代引き等で)というのも、そこそこ普通のことである。商品の送付先として住所氏名を入力するわけだが、仮にそのネットショップの信頼性が低いものだったとしても、単に住所氏名を渡すことくらい、たとえ名簿に記載されて販売されようと、それだけなら問題がないという判断もあり得る。〔…〕

しかし、ケータイWebではそうはいかない。住所氏名を送信する際に、同時に携帯電話の契約者固有IDも送信してしまう。当該サイトの信頼性が低い場合、その固有IDの契約者が誰であるか、住所氏名とひもづけられて記録され、第三者に販売されるおそれがある。ひとたびそうなってしまうと、別のサイトを訪れても、訪れただけで、住所氏名を特定されてしまう(そのサイトがその名簿を購入している場合)。このような事態は、PCから使う通常のインターネットでは起こり得ない。IPアドレスは固定ではないからだ。

PCから使う通常のインターネットでは、匿名で使うサイトと、顕名で使うサイトの両方を利用することができた。SNSやblogでは名前を明らかにして活動し、掲示板では匿名で活動するということが安心してできた。(警察の取り調べが入るような犯罪的行為をしない限り。)

ケータイWebではそうはいかない、どこかのサイトで匿名で行動したいと思うなら、他のどのサイトでもずっと匿名のまま使うように気をつけないといけない。どこかに明かした個人的な情報は、契約者固有IDと紐付けられて他のサイトで共有され得る。逆に、どこかのサイトで自分が誰か明かして行動したいなら、他のどのサイトでも自分が誰かは知られていると覚悟の上で行動しなくてはならない。匿名で使うことを選択したなら、ネットショップを使うわけにはいかない。

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20080710.html#p01

 自分がターゲットを絞った広告の標的になったり、音楽サイトを訪問したときに「どこのだれそれだ」ということがわかる程度なら、まあ我慢しようという考えもある(私はイヤだが)。

 ここで考えてみたいのは、もうちょっと違う視点、ライフログや、国民総背番号制の観点からである。

 たぶん、具体的な例を出すとわかりやすいと思う。高木さんのエントリの注1に、

このIDがどんな文字列で送信されているかは、たとえば、このIDをあえて表示するようにしている掲示板の書き込み例を見ることで、知ることができる。たとえば、2ちゃんねる掲示板のこの板には、多数の契約者固有IDの表示が見られる。ここに表示されているID文字列をキーにGoogleなどで検索してみると、同じ人が別のところでどんな書き込みをしているかを調べられることがわかる。


とあったので、やってみた。:proxyXXXX.docomo.ne.jp(XXXXX)とか、XXXXXXXX.ezweb.ne.jp(XXXXXXXXXXXXXX)とかなっているのがそれである。プロキシの部分を削ってググると、まぁ色んな板への書き込みが出てきますね。

 高木さんが書かれていた、PCのIPアドレスは固定ではないが、ケータイwebのIDは不変であるということの恐ろしさは、ここにも関わってくると思う。つまり、その携帯を使って書き込んだ発言は、たとえ匿名であってもすべて「名寄せ」されうることになり、しかも(発言が削除されないかぎり)一生ずっと消えることなくつきまとう可能性がある、ということである。

 ここで忘れないでおきたいのは、個人情報はあらかじめデータベース化されていなくても、グーグルのような高機能な検索エンジンがあれば、場合によってはデータベース化されているのと同じことになってしまうということである。Aさんが携帯を通じて掲示板やらレビューサイトに書き込んだ情報は、どこかにデータベース化されているわけではないが、検索すれば最近から数年前に至るまでずらりとならんでしまう。結果、掲示板によってキャラを変えたりして変えなかったりしながらやってきたAさんの活動は、すべて「統合」されてしまう。

 実際に契約者固有IDでネットを検索するとわかるが、その「気持ち悪さ」は買い物の履歴が蓄積されていくこととはまた違ったものがある。おそらく、何を買ったかという情報よりも、より直接的に「その人」の人格を想像させるからだろう。

 もちろん、こうした事態はいわゆるコテハンを使う人や、あるいはmixiのような実名が(一応)前提のコミュニティがすでに存在する以上たいしたことじゃないぞ、という反応も予想できる。だが、携帯のネットでは全員がデフォルトで通知(記録)されるのである。実際にはそう簡単に契約者固有IDが検索可能な状態におかれるとも考えにくいが、記録のすべてが検索結果として返ってこなくとも、部分的に露わになるだけで、十分に脅威である。また警察などが捜査に利用し、携帯会社が情報提供に協力することは考えてみるまでもないだろう。

 ライフログというのは、その名の通り、人生の記録である。この言葉はそれを積極的に自ら作る(記録する)人についての文脈で使われることもあるが、その本人が知らぬところで集められて構成されていく個人情報の集積という意味でも捉えられる。

 携帯電話はいまや個人情報のなかでももっともセンシティヴな情報が蓄積し、かつ送信されていく端末である。誰が何を買い、何を調べ、何を注文し、何を読み何を聴いたかという履歴は、大手のネットショップのデータベースには、すでに相当蓄積しているだろう。今のところそれらと結びつけられる可能性は低い(よね?)ものの、携帯は、会話を媒介し、GPS情報を発信し、メールを送受信し、テレビ・ラジオの受信機になり、音楽再生機になり、デジタルカメラになっており、それらの情報を相当な部分蓄えるハードディスクとなっている。

 携帯は、未統合のライフログそれ自体だともう考えた方がいいだろう。契約者固有IDのデフォルト全通知という事態は、その統合への道のりの、たしかな「前進」であるように思える。